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「舞台に立ちたい」という思い
脚本・作詞・演出 ハマナカトオル
舞台を絵画に例えて言えば、この作品は大作の宗教画ではなく、小さなキャンパスに描いた3人の女性の肖像画。ところが私は、この最も小さな絵を、一番時間をかけて描き続けている。始まりは24歳。それから少しずつ絵の具を加え、直し続けて、なんと20年にもなろうとしている。私の人生の周囲で起こり続けている「舞台に立ちたい」というたくさんの人々の思い。夢と、希望と、成功と、挫折。そうしたモチーフを、3人の女性の肖像画として、キャンパスに描き続けてきた。
私は、今から22年前、21歳の時から宝田芸術学園というミュージカル学校の1期生として、ミュージカルを学んだ。同じ夢を持つ大勢の仲間がいた。みんな、プロのミュージカル俳優を目指して、レッスンに励んでいたのである。20年以上が経過し、入学した1期生120人のうち、現在もミュージカルの舞台で活躍しているのは、1人か、2人。あとは、それぞれの人生に別れて行った。私は脚本・演出家となり、34歳の時から、舞台芸術学院ミュージカル部の演技講師になった。何の因果か、今度は、「舞台に立ちたい」と願う若者を育てる役に回った。重い、責任のある仕事だった。舞台を目指す大勢の若者たちとの貴重な出会いと別れ。どんな生徒でも、いつか自分にふさわしい役と作品に巡り合って、舞台の上で輝き、認められる日が来ると夢見ている。その気持ちから、私は目をそむけることが出来ない。「頑張れ。続けろ。」と生徒を励ましつつも、プロのミュージカル俳優として生きていくことの難しさに心は重くなる。生きて行くどころか、スタートすることが難しいのだ。悩み抜いた末、私にできるささやかなこととして、ミュージカル座をつくった。「舞台に立ちたい」という一人一人の思いをつなぎ、将来のチャンスへとつなげてほしいという思いだった。そうした日々の中で、私はこの作品を少しずつ書き進めた。いつまでたっても完成しなかったが、いつの間にか、最も愛着のある絵になっていた。私を取り巻く世界に生き、別れて行く人々の思いを、3人の女性の肖像として残しておきたかったのである。
作品を書き出すきっかけは、24歳、ミュージカル学校を卒業して、宝田明さんを座長とするミュージカル劇団で舞台に立ち、同時に劇団公演の脚本を書き始めた頃だった。渋谷のジャン・ジャンという小劇場で、松浦竹夫さん率いるテアトロ≪海≫の公演「ヴァニティーズ」を見て、このオフ・ブロードウェイのロングラン記録をつくった女性3人のストレートプレイに感銘を受けた。本場ブロードウェイの芝居とはこういうものなのかという驚きだった。そして、私もいつか、こんな女性3人のドラマをミュージカルとして書いてみたいという思いに取り憑かれた。宝田芸術学園の4階にあった大きな教室の中に舞台セットを組み(美術/土屋茂昭)、生ピアノの演奏で上演した。私は脚本だけで、演出は別の人が担当。この人が、今の題名とは違う題名をつけた。若き日の冒険だった。みゆき役を演じたのは、今は木山事務所で立派な活躍をしている田中雅子さんで、当時私の1期後輩だった。もう20年も前のことだ。宝田芸術学園も、私が所属していたミュージカル劇団も、松浦竹夫さんも渋谷のジャン・ジャンも、みんななくなってしまった。夢かまぼろしのようである。私も新しい活動を始め、いくつかの舞台をつくったが、その後何年たっても、この作品だけは、どうしても忘れることができなかった。舞台に対する舞台人の思いを描いた主題と、女性3人だけで演じるシンプルなコメディのフォームが気にいっていた。脚本家として腕が上がったら、もう一度書き直して決定版を上演したいと思い続け、何度も書き直しに挑んだ。だがその度に行き詰まり、中断しては別の作品にかかり、そっちを仕上げて再び挑み、また中断して別の作品にかかる、ということの繰り返しで、いつまでたっても完成出来ず、自分でもあきれ果てていた。上演時間はたった2時間なのに、私が書いたみゆきといづみとナナの台詞は8時間分ほどに及んだ。私の人生が変化し、考え方が変わると、この台本は変化せざるを得なかったのだ。書き直すたびに題名も変えたため(これというタイトルがどうしても浮かばなかったのだ)、別の題名をつけたこの台本のファイルが、私の部屋の棚に並んでいった。没にしたおびただしい台詞は、一つの作品を彫りだすまでの粘土のクズなのだろう。私は、10年以上もこの作品を書き続けることで、台詞と脚本の作法を学んだのだと思う。
やっと、「舞台に立ちたい」というタイトルが私の頭の中で固まってきたのは、30代も後半になった頃だった。ミュージカル座をつくった37歳の時に、とにかく、これを書き終わらないともう何もかも先へ進めないような気がして、覚悟を決めて力づくでかき上げた。ビリー(山口e也)さんの作曲・編曲と舞芸の卒業生たちの出演で、ようやく2回目の試演を行った。スタジオ錦糸町という100人ほどの客席のホールで、わずか4回の公演だった。まだミュージカル座旗上げ公演以前だったが、この時の公演を見て、ミュージカル座に入団してきた座員が何人かいた。どんどん再演をして行こうと思っていたが、矢継ぎ早の新作作りに追われる時だった。それから6年の歳月が過ぎ、今回は43歳の目で、もう一度すべての台詞と歌詞をチェックし、歌えるキャストのために新曲を書き、2曲ほどは新しいアイディアが生まれたので手直しを加えた。吉岡小鼓音さん、伊東恵里さん、麻生かほ里さんという、ミュージカルの世界で実際に生き抜いてきた三人の出演で、人物にリアリティが加わったと思う。三人に話を聞いてみると、私がこの台本に書いたようなことは、ほとんど経験してきていることに驚いた。台本以上かもしれない。もちろん、三人に当てて書いたわけではないのだが(三人と出会うはるか以前に台本は出来ていた)、舞台俳優の人生に起こる出来事やさまざまな心の動きが、彼女たちを通してリアルに客席に伝わることは間違いないと確信している。日本のトップクラスの実力を持った三人の歌と演技で、このミュージカルは力を持つだろう。私は、博品館劇場でこの作品をやる以上は、絶対に生バンドで演奏しなければならないと思っていた。なぜなら、この作品には場面ごとに変化する絵(舞台装置)がないし、三人のライブ・コンサート的な色彩が強いつくりのミュージカルだからだ。昨年2月、「今井清隆ファーストコンサート」をやった時に、ビリーさんのバンドに目をつけていた。最初に話した時に、ビリーさんは4人編成でと言ったので私もOKしたが、次の打ち合わせでは6人に増えていた。「ティンパニも入れたいし・・・」と欲が出ていた。出来ればピアノはステージ上でビリーさんに弾いてほしいと思っていたが、ビリーさんはどうやら最初からそのつもりのようだった。
博品館劇場は、私が30歳の頃に、商業演劇の脚本家としてスタートし、何作かを発表した思い出の劇場だ。「舞台に立ちたい」をこの劇場で本格上演することは、私の長い間の夢だった。そして、この作品を愛する私の周囲の声や、舞台美術家の松野潤さんが「この作品は大好きだ。博品館でやろう。」とことあるごとに言ってくれて、私を後押ししてくれた。素晴らしい三人のキャストともめぐり合うことが出来た。やっと、ミュージカル関係者と一般の観客の皆様に、この作品を披露できるチャンスが訪れて、嬉しく思っている。長い年月がかかったけれど、これはこの作品にとっての始まりなのだと思いたい。今回の決定版キャストの舞台と共に、ニュー・キャストも選びながら、再演を繰り返して作品を育てて行く仕事にかかりたいと決意している。CDもつくりたいし、全国公演も実現させたい。いつか満員の客席で長期間公演できる作品に成長させることが出来るまで、みゆき、いづみ、ナナの3人と共に頑張って行きたいと思う。 |